現在、東京でアニメーション作家として活躍中の松村麻郁さん。大阪芸術大学・映像学科時代の彼女は、実写映画→クレイアニメ→2Dアニメと自身の可能性を模索していた。「(アニメ作家としての)今があるのはダイゲイのおかげ(笑)」と話す彼女に学生時代を振り返ってもらった。

−もともとデザイン志望だったと聞きましたが

「はい、デザイン学科も受けたんですけど、映像学科のほうだけ見事合格しまして。もともとCMを作ることに興味があったんですよ。自分にとってCMはデザイン的要素の集大成と考えていたんですね。そこで、映像学科だと実写もアニメもあるし、別に外れてはいないなぁって思ったんですね。でも、映画的知識がまったく無かったので、ヘェーの連続でした」

−映画づくりには没頭されたんですか

「そうですね、現場に行くのは楽しかったですよ。1回生のとき、先生が「みんな小ぎれいなカッコしてるけどボロボロになっていくよ」といわれたんですけど、全くその通りになっていきました(笑)。現場だとカメラや機材をいっぱい持たないといけないので、とにかく動きやすいカッコになりましたね。最初はスカートとか履いてましたけど、次第にジーパンにTシャツとか。高校時代の友達からは「あー、それっぽくなってきたわ」っていわれてましたから」

−そのまま実写映画に行かなかった理由は

「2回生のときに、作品をグループで作ることになったんですね。そこで私は無謀にも監督やる!って言ってしまって。で、監督をやってみて、力不足を実感したという。自分は一生懸命やってるんだけど、ひとり空回りしてるって感じでした。完成試写のときに、あまりに情けない出来で、みんなゴメン!ってマジ大泣きして。みんなには「こんなに泣く人見たことないわ」って笑われましたけど(笑)。ただ、アレはかなりのトラウマになりました。記憶から消し去りたい思い出です」

−その後、CMのコースへ行かれるんですね

「1、2回生のときはみんな映画の基礎を学ぶんですが、3回生からは自分の好きなコースを選べたので、当初の予定どおりCMのほうへ進みました。そこで作品としてクレイアニメを手がけることにしました。2回生のときの経験から、やはり実写映画というのは、コミュニケーション能力が大切なんだってわかったんです。みんなの協力やモチベーションを保ちながら、モノを創っていくという。自分は人に自分の想いや考えを伝えるのは決して得意ではなく、ひとりでコツコツやったほうが向いていると気づいたんです。クレイアニメ自体の知識とかあまりなかったんですけど、専攻授業でちょこっとやって楽しかったので、やってみようと」

−でも、クレイアニメの作品制作自体もほぼ初めての試みだったんですよね

「いろいろ大変でした(笑)。私はデジタルカメラの映像の質感が苦手だったので、絶対フィルムでやろうと。あと、クレイを撮影中断毎にそのままにしておかなければいけないので、一定期間借り続けられるスタジオの確保も必要。カメラは学校から1週間、期限ギリギリで借りて、スタジオはオバさんの家でたまたま借りられるスペースがあったので。そこに照明を手伝ってくれる友達と2人で、1週間篭もってました。寝るまでがんばって、起きたら撮る。そういう感じでした」

−クレイアニメの評判はどうでしたか

「クレイアニメは反応があったんですよ。笑ってほしいところで笑ってくれたり、そういう面では良かったです。そして、4回生のときには、アニメーションコースに移らせて欲しいって大学側にお願いして変更したんですよ。4回生は卒業制作があるので、クレイアニメではなく、2Dアニメをやろうと思ったんです」

−クレイアニメを続けず2Dアニメをやろうと思った理由はなんですか

「CMコースのときにも授業で何度かPCを触ってて、PCでアニメを描くのは自分の性に合ってるなって思ってたんです。それにやはりクレイアニメはいろいろと制限があるんですね。予算面もそうですけど、カメラを借りるにも制限があってもっとやりたいって思っても無理ですし。そういうジレンマを抱えたくなかったんです。あと、自分のパソコンで行う作業であれば、自分ひとりだけの責任で全てできる。卒業制作作品なんで、とことんモノ作りを突き詰めたいって思ったんです。結局、映像面は私ひとりで創りました」

−卒業制作作品「egg」は学長賞をとったそうですね

「恐れ多くもいただけました。4回生の最初の頃の授業で、先生に絵コンテやイメージボードを持っていったら「平凡」ってひと言で済まされて、コンチキショー!先生をギャフンと言わせてやる!!というモチベーションが沸いてきて。でも、途中で何度か失速していくんですけど、なんとかやり切れました」

−結局、ダイゲイ時代に、実写映画→クレイアニメーション→2Dアニメーション、と毎年チャレンジを繰り返してましたね

「いわれてみればそうですね(笑)。でも、自分に出来ることは何か、苦手なことが何なのか、がわかったのも、いろいろチャレンジしたからだと思います。学生の特権ですね。結局、2Dアニメーションに出会えて、それが今も続けていられるんですから、ほんまダイゲイにいたからこそ“今”があるんでしょうね」


卒業制作作品の制作に没頭していた松村さんは、「うっかり忘れていた」就職活動を結局、断念し、デザインのアルバイトをしながら自身の作品作りを続ける。そして東京進出へ向かうことに。

−卒業後の活動は?

「どうやったら自分の作品を見てもらえるんだろうって考えて、もう国内外の映画祭や映像・アニメ系のコンテストに出しまくりました。そのなかで、NHK BSの「デジタルスタジアム」では、森本晃司さんに『カッポロピッタ〜まんまくいねい〜』をベストセレクションに選んでいただけました。その後くらいから、ちょこちょこと映像関連のお仕事が来るようになりました。
あと、東京国際アニメフェスティバルのクリエーターブースに応募して、出品できました。そのブースでWOWOWの関係者の方とお話しできて、「じゃあ東京に来ることがあったら」みたいな感じでいったん終わったんですね。本気かなぁって思って東京に来たときに連絡してみたら、本当に仕事に打ち合わせになってきて「うわぁ!本気や」と驚いたんです(笑)。それが『魔法食堂チャラポンタン』で、TVシリーズになりました。ちょうどWOWOWさんの方でも、食べ物を扱った子供向けの作品を作ろうと考えられていた時期で、タイミングが良かったんでしょうけど」

−で、いよいよ東京上京ですね

「“いけるところまで行って来い!”と両親に背中を押されて、決意して出てきました。やっぱりお仕事の話を直接する機会があるのは東京ですね。いろいろ経験することが多いですし、失敗も多くて、実は傷だらけでボロボロなんですが(笑)、まぁなんとかがんばっています。アニメ業界にいると、実はわたしダイゲイなんです、って人が意外と多くて驚いています」

−東京での生活は慣れてきましたか。休日とかはどこかに行かれたりするんですか

「あんまり関西弁も直りませんし、慣れてきたんですかね、どうなんでしょう。休日はぶらぶらはしています。わたし、趣味って実はあんまり無いんですよ。映画を見るのが好きで、映画を作ったわけでも、アニメを見るのが好きで、アニメーションを作ったわけでもないんですよね。たぶん、なにか作ることが好きなんですよ。だから、いまは仕事が趣味です!ってカッコ良すぎますかね(笑)。いやいや、それは哀しいのか(笑)!?」
  松村麻郁

'79年、大阪府出身。『カッポロピッタ〜まんまくいねい〜』 で国内外で各賞を受賞し、この作品をきっかけにフリーとして活動を始め、イラスト・携帯コンテンツ・ゲームデザイン・PV制作などを手がける。2006年11月より初のテレビシリーズ『魔法食堂チャラポンタン』をWOWOWにて放送。アニメーションに登場したお料理のレシピが『生活情報誌オレンジページ』に掲載する



『魔法食堂チャラポンタン』
発売中/¥3,990(税込)/販売元: ジェネオン エンタテインメント(株)











 








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